元霧馬山はなぜ霧島へ改名?大関復帰への現在地と怪我の真相を追う
大相撲の土俵で類まれな身体能力と多彩な技を繰り出し、角界を牽引する存在としてファンを魅了し続ける元関脇・霧馬山(現・霧島)。幕内初優勝から大関昇進、そして名門の誇りを胸に刻んだ大名跡「霧島」の継承と、その歩みは常に大相撲ファンの熱い視線を集めてきました。
大関昇進とともに決断された四股名改名の真の理由、予期せぬ怪我による休場と大関陥落という過酷な試練、さらには陸奥部屋閉鎖に伴う音羽山部屋への転籍劇など、土俵内外で激動のドラマが続いています。本稿では、元霧馬山が歩んできた激動の軌跡を振り返りつつ、大関復帰を期す最新の現在地と今後の展望を徹底取材の視点から紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 改名の真相:大関昇進を機に、師匠である陸奥親方(元大関・霧島)が現役時代に名乗った伝統の四股名「霧島」を直系継承した。
- 怪我と部屋移籍:首や腰の負傷による無念の休場と大関陥落を経験しつつ、陸奥部屋閉鎖に伴い音羽山部屋(師匠・元鶴竜)へ転籍して再起を図っている。
- 現在地と復帰展望:卓越した技術と強靭な肉体を再構築し、三役上位戦線で安定した白星を重ねながら悲願の大関返り咲きを射程に捉えている。
【改名の真相】なぜ霧馬山から「霧島」へ?師匠・陸奥親方から受け継いだ魂

相撲ファンの間で長年親しまれた四股名「霧馬山」から、師匠の名跡である「霧島」への改名が発表されたのは、2023年5月場所後の大関昇進伝達式の場でした。「なぜ慣れ親しんだ四股名を改めたのか」という疑問に対し、そこには師弟の深い絆と揺るぎない約束が存在していました。
元霧馬山をスカウトし、手塩にかけて育て上げた師匠の陸奥親方(元大関・霧島一博)は、現役時代に筋肉質の引き締まった体躯から繰り出す豪快な吊り出しや投げ技で「和製ヘラクレス」と称された名大関でした。親方は愛弟子に対し、「大関に上がったら、自分の現役名である霧島を名乗らせる」という構想を以前から抱いており、弟子自身もその重責を担うことを目標に稽古を重ねてきました。
師匠が定年退職を迎える前の最高のタイミングで大関昇進を果たした霧馬山は、師匠の魂と誇りを受け継ぐ決意を固め、四股名を「霧島 鐵力(きりしま てつお)」へと改名しました。単なる看板の掛け替えではなく、師弟が二人三脚で紡いできた相撲道への覚悟が込められた継承劇だったのです。
モンゴルからの挑戦と経歴|本名や初優勝までの泥臭い下積み時代

元霧馬山こと霧島は、モンゴル・ドルノド県出身で、本名をビャンブチュルン・ハグバスレンといいます。遊牧民の家庭で育ち、幼少期から馬を駆るなど強靭な足腰を自然に鍛え上げられていましたが、相撲の経験はほとんどありませんでした。
転機が訪れたのは2014年、日本で行われた相撲適性チェックの場で陸奥親方の目に留まったことでした。2015年5月場所で初土俵を踏んだ当初は、日本語もおぼつかず、体重も100kgに満たない軽量からのスタートでした。しかし、持ち前の負けん気の強さと泥臭い猛稽古によって番付を駆け上がり、2020年1月場所で新入幕を果たします。
そして2023年3月場所(春場所)、関脇として臨んだ土俵で12勝3敗の好成績を収め、優勝決定戦で大栄翔を下して自身初となる幕内最高優勝を達成しました。モンゴルから単身日本へ渡り、師匠の厳しい指導に食らいつきながら頂点へと上り詰めたサクセスストーリーは、多くのファンの胸を熱くさせました。
しなやかな肉体美の秘密|身長・体重と進化し続ける取り口

土俵上での立ち姿の美しさにも定評があります。公式プロフィールにおける身長186cm、体重約145kg前後という体格は、現代の巨漢力士がひしめく角界においては決して規格外の重さではありません。しかし、無駄な脂肪が極めて少ない均整の取れた筋肉質の肉体は、師匠の現役時代を彷彿とさせます。
最大の武器は、柔軟な股関節と強靭な体幹から生まれる変幻自在の技量です。左四つ・右四つを問わず前褌を引いての寄り、土俵際での鮮烈な下手投げや出し投げ、さらには懐の深さを生かした巻き替えなど、攻防の引き出しの多さは角界随一を誇ります。
軽量時代から培ったスピードと、大関クラスの圧力を受け止める重厚な体幹が高度に融合した万能型の取り口こそが、霧馬山時代からファンを魅了し続ける真骨頂といえます。
怪我による休場と大関陥落の試練|音羽山部屋への転籍と復活への道のり
大関昇進後、2023年11月場所で2度目の幕内優勝を飾るなど順風満帆に見えたキャリアでしたが、2024年に入ると予期せぬアクシデントに見舞われます。首(頸椎)の負傷や腰の慢性的な痛みが悪化し、本来の力強い立ち合いとしなやかな動きが影を潜めるようになりました。
満身創痍の状態で土俵に上がり続けたものの、精彩を欠いた相撲が続き、休場を余儀なくされます。その結果、2場所連続の負け越しを喫して大関からの陥落という厳しい現実に直面しました。さらに同時期、育ての親である陸奥親方の定年退職に伴い陸奥部屋が閉鎖される事態となり、同じ一門の先輩である元横綱・鶴竜が創設した「音羽山部屋」への転籍が決まりました。
稽古環境の激変や怪我の治療という二重の苦難に直面しながらも、新師匠である音羽山親方の手厚いサポートと緻密な指導のもと、徹底したリハビリと相撲の再構築に専念する日々が始まりました。
【2026年最新成績】大関復帰へのロードマップと土俵上の現在地
2026年現在、首や腰のコンディションは着実に回復傾向を見せており、立ち合いの鋭さと土俵際の粘り強さが完全に戻りつつあります。関脇・小結の三役陣として土俵に上がり、役力士としての重責を果たしながら白星を積み重ねています。
大関への返り咲きを果たすためには、「三役の地位で直近3場所合計33勝以上」という高いハードルをクリアしなければなりません。しかし、過去に2度の幕内優勝を経験している地力は誰もが認める本物です。
土俵際での逆転技に頼る相撲から、前に出る圧力を主体とした正攻法の相撲へとモデルチェンジを図っており、上位陣を脅かす安定感を取り戻しています。大関再昇進、そしてその先に見据える横綱昇進へ向けた視界は、再び力強く開けています。
気になるプライベート|結婚の噂や嫁・家族事情の真相
端正な顔立ちと誠実な人柄から女性ファンの人気も高い霧島ですが、プライベートや結婚に関する情報にも高い関心が集まっています。現在の私生活について調査したところ、公式に結婚や妻(嫁)の存在が発表された事実はありません。
角界関係者やメディアの間では、相撲にストイックに向き合う姿勢が広く知られており、大関陥落から復帰を目指す現在は「土俵上での完全復活が最優先」という強い意志を持って生活を送っています。
モンゴルに暮らす両親や家族への思いやりは非常に深く、日本での活躍を家族に届けることが何よりのモチベーションになっていると語られています。プライベートの充実も含め、土俵の上で再び最高の結果を残した際にどのような朗報が届くのか、温かく見守りたいところです。
【霧馬山(現・霧島)】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:霧馬山から霧島への改名はいつ、なぜ行われたのですか?
A1:2023年5月場所後に大関昇進を果たした際、師匠である陸奥親方(元大関・霧島)の現役時代の四股名を受け継ぐ形で改名されました。師匠の悲願であった大関昇進を機に、名門の看板を背負う覚悟を示したものです。
Q2:なぜ陸奥部屋から音羽山部屋へ移籍したのですか?
A2:師匠である陸奥親方が2024年4月に日本相撲協会の定年(65歳)を迎えたことに伴い、陸奥部屋が閉鎖されたためです。同じ時津風一門で、部屋付き親方として指導を受けていた元横綱・鶴竜が興した「音羽山部屋」へ所属力士全員とともに転籍しました。
Q3:怪我の回復具合と大関復帰の可能性はどうなっていますか?
A3:大関陥落の主因となった頸椎や腰の怪我は順調に快復しており、2026年現在は本来の機敏な動きを取り戻しています。三役の地位で安定して二桁勝利を挙げており、直近の場所で規定の勝利数を満たせば大関再昇進を果たす可能性は十分にあります。
まとめ|大関復帰と頂点への挑戦が紡ぐ新たな伝説
「霧馬山」として頭角を現し、「霧島」の名を背負って大関へ登り詰めた足跡は、決して平坦な道ではありませんでした。怪我による挫折や部屋の閉鎖といった試練を乗り越え、音羽山部屋の看板力士として土俵に立つ現在の姿には、かつて以上の風格と凄みが漂っています。
師匠から託された偉大な四股名に恥じぬ相撲を取り続け、再び大関の座を奪還し、さらには最高峰の横綱へと手を伸ばすことができるのか。進化を止めない技量派大関・霧島の土俵から、今後も目が離せません。 (出典: 霧 馬山(Yahoo!ニュース))