オードリーの母校・日大二高の偏差値と伝説のアメフト部秘話を徹底解説
テレビ番組のMCから深夜ラジオの絶対王者まで、日本のエンターテインメント界の第一線で活躍を続けるオードリー(若林正恭・春日俊彰)。2024年の東京ドームライブで約16万人(配信含む)を動員した歴史的快挙を経た今も、二人のトークの随所に登場するのが、多感な青春時代を過ごした母校での強烈なエピソードです。
ファンの間では「聖地」として語り継がれるその母校こそが、東京都杉並区にある名門私立校日本大学第二高等学校(通称:日大二高)です。中学時代の運命的な出会いから、過酷を極めたアメリカンフットボール部での日々、そして現在のお笑いスタイルの礎となったコンビ結成の裏側まで、知られざる学生時代の全貌を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:オードリーの出身高校は東京都杉並区の難関進学校「日大二高(偏差値67)」で、二人は中学2年生のクラス替えで出会った。
- 要点2:高校アメフト部では若林がオフェンスの司令塔(RB/副主将)、春日は関東代表選抜(DE)に選ばれるほどの実力派アスリートだった。
- 要点3:部室で培われた阿吽の呼吸と理不尽な笑いのセンスが、現在の『オードリーのオールナイトニッポン』や漫才の強固な土台となっている。
【名門進学校】オードリーの母校「日本大学第二高等学校(日大二高)」の偏差値と校風

オードリーの二人が通っていた日本大学第二高等学校は、東京都杉並区天沼にキャンパスを構える私立の共学校(二人の在学時は男子クラス中心の編成)です。日本大学の特別付属校でありながら、他大学への進学実績も極めて高く、文武両道を掲げる名門進学校として広く知られています。
最新の教育データにおいても、日大二高の偏差値は約67と都内屈指の難関レベルを誇ります。日本大学への内部推薦枠を確保しながら、国公立大学や早慶上理、GMARCHといった難関私立大学へ毎年多くの合格者を輩出。自由闊達でありながら高い知性を重んじる校風のなかで、若林さんの鋭利な批評眼や構成力、春日さんの独特の語彙力や堂々たる立ち振る舞いが育まれました。
【運命の出会い】中学2年生の教室から始まった若林と春日の奇妙な関係性

二人の関係は高校から始まったわけではありません。ルーツは系列校である日本大学第二中学校の時代に遡ります。中学1年時は別々のクラスでしたが、中学2年生に進級した際、同じクラスになったことがすべての始まりでした。
当時から人見知りで斜に構えていた若林正恭さんと、すでに体が大きく独特の存在感を放っていた春日俊彰さん。若林さんが教室内でふざけてみせた奇妙な動きに、春日さんだけが腹を抱えて笑ったことをきっかけに意気投合します。周囲が受験勉強や日常の学校生活を送るなか、二人は放課後にどちらかの家に集まってはラジオの真似事を録音したり、独自の遊びを開発したりと、誰にも邪魔されない密密な関係性を築いていきました。
【アメフト部の伝説】若林の司令塔RBと春日の関東代表選抜|知られざる熱血アスリート時代

高校進学後、二人は揃って強豪として知られるアメリカンフットボール部(チーム名:ブラック・ナイツ)に入部します。バラエティ番組でのコミカルな印象とは裏腹に、当時の二人は全国レベルの激しいコンタクトスポーツに打ち込む本格派のアスリートでした。
ポジションと実績を振り返ると、二人の才能と個性が明確に分かれています。
オフェンスを担当した若林さんは、俊敏なフットワークと戦術眼を求められるランニングバック(RB)として活躍。副キャプテンも務め、チームの戦術を組み立てる司令塔としての役割を担っていました。一方の春日さんは、強靭な体格と驚異的なフィジカルを活かし、守備の要であるディフェンシブエンド(DE)として頭角を現します。高校3年時には東京都選抜「オール東京」に選ばれ、さらには高校アメフト関東代表にも選出されるなど、関東屈指の名ディフェンダーとして名を馳せました。
【ANNでも話題】過酷な練習と部室が生んだ「オードリー」の笑いの原点
『オードリーのオールナイトニッポン』のリスナー(リトルトゥース)にはおなじみですが、日大二高アメフト部での泥臭い青春と部室のエピソードは、今なお番組内で語り継がれる鉄板のトークテーマです。
泥まみれのグラウンド、上下関係の厳しさ、真夏のハードな合宿など、過酷を極めた環境のなかで二人が身につけたのは「理不尽な状況をユーモアに変えて耐え抜く術」でした。部活をサボるために若林さんが企てた奇策や、重いタックルを受けても平然としていた春日さんの超人的なエピソード、顧問の先生やチームメイトとの掛け合いは、まさにオードリーの原液そのものです。痛烈な現実を笑いに昇華させる二人の阿吽の呼吸は、過酷な部室の片隅で磨き上げられました。
【コンビ結成の真相】日大二高卒業から「ナイスミドル」、そして国民的スターへの軌跡
高校卒業後、若林さんは東洋大学文学部へ、春日さんは日本大学商学部へとそれぞれ別の大学に進学します。しかし、高校時代に共有した笑いの熱量が冷めることはありませんでした。
芸人への道を強く志していた若林さんが、大学在学中の2000年4月に春日さんを誘う形でコンビ「ナイスミドル」を結成。当時は若林さんがツッコミ、春日さんがボケを担当していましたが、長い下積み時代と試行錯誤を経験します。その後、事務所のアドバイスを受けてコンビ名を「オードリー」へと改名。若林さんがツッコミ(兼ネタ作成)、春日さんが胸を張る独自のキャラクターを確立し、2008年の『M-1グランプリ』敗者復活からの準優勝を機に一気にスターダムへと駆け上がりました。
【日大二高出身の有名人】おぎやはぎ矢作から文化人まで多彩な卒業生たち
オードリーの二人が学んだ日大二高は、芸能界や文化界に多くの傑出した人材を送り出していることでも知られています。
お笑い界では、おぎやはぎの矢作兼さんが同校の卒業生として有名です。オードリーの先輩にあたり、メディアでも日大二高トークで盛り上がる場面が度々見られます。さらに俳優の三浦友和さんや松坂慶子さん、元キャンディーズの伊藤蘭さんなど、日本を代表する名優たちも同校の出身です。自由な気風のなかで個性を伸ばす土壌が、多分野で時代を切り拓くトップランナーたちを育んできたと言えます。
【オードリー 高校】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:若林さんと春日さんは高校から出会ったのですか?
A1:いいえ、二人の出会いは系列校である「日本大学第二中学校」の2年生のときです。同じクラスになったことをきっかけに仲を深め、そのまま日本大学第二高等学校へと内部進学しました。
Q2:春日さんのアメフトの実力はどれくらいすごかったのですか?
A2:春日さんは高校3年時に東京都選抜(オール東京)に選出され、さらに関東代表チームのメンバーにも選ばれるほどの実力者でした。ポジションはディフェンシブエンド(DE)で、圧倒的なフィジカルを誇っていました。
Q3:オードリーの二人は高校時代からお笑いコンビを組んでいたのですか?
A3:高校時代は部活と遊び仲間としての関係で、正式なコンビは結成していませんでした。それぞれの大学に進学した後の2000年に「ナイスミドル」を結成し、プロの芸人として歩み始めました。
まとめ:日大二高アメフト部で培われた圧倒的な絆と人間力
オードリーの魅力の根底には、日大二高という名門校の自由な空気と、過酷なアメフト部で共に汗を流した圧倒的な青春の記憶が存在します。単なるビジネスパートナーを超えた二人の阿吽の呼吸は、四半世紀以上前の杉並のグラウンドと部室で育まれた強烈な絆そのものです。
どれほどキャリアを重ね、日本のトップタレントとして君臨しようとも、ラジオのマイクの前で見せる表情はあの頃の「日大二高の悪ガキ」のまま。これからも二人が紡ぎ出すトークの端々から、色褪せない青春の輝きが届き続けることは間違いありません。 (出典: オードリー 高校(Yahoo!ニュース))