竹下登の家系図と生涯|孫DAIGO・北川景子との縁や消費税の真相

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竹下登の家系図と生涯|孫DAIGO・北川景子との縁や消費税の真相
竹下登の家系図と生涯|孫DAIGO・北川景子との縁や消費税の真相
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🎵 竹下登の家系図と生涯|孫DAIGO・北川景子との縁や消費税の真相

タレントのDAIGOさんがメディアでたびたび話題にする祖父、第74代内閣総理大臣・竹下登。昭和の終わりから平成の幕開けという激動の時代に首相を務め、現在の日本経済の根幹をなす消費税の導入や、地方創生の先駆けとなったふるさと創生一億円事業など、後世に残る数々の政策を実行しました。

一方で、自民党最大派閥「経世会」を率いて強大な権力を誇りながらも、戦後最大の疑獄とされるリクルート事件で退陣を余儀なくされた歴史を持ちます。本記事では、華麗なる一族の家系図から孫・DAIGOさんや北川景子さんとの縁、権力の絶頂と挫折、そして知られざる最期まで、調査報道の視点からその足跡を立体的に解き明かします。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:島根の造り酒屋から首相へ登りつめ、圧倒的な調整力で「経世会」による長期支配を確立した。
  • 要点2:孫はタレントのDAIGOであり、その妻である女優・北川景子とも親族関係で結ばれている。
  • 要点3:消費税導入などの大改革を断行するもリクルート事件で退陣、その後も「キングメーカー」として君臨した。

【華麗なる一族】竹下登の家系図を解剖|孫・DAIGOや北川景子との知られざる関係

竹下 登

竹下登のルーツを紐解くと、地方の名家から政財界・文化界へと広がる華麗な血脈が浮かび上がります。竹下家は、島根県飯石郡掛合町(現・雲南市)で江戸時代から続く老舗の造り酒屋「竹下本店」を営む名家でした。

家族構成の中で広く知られているのが、次女・まる子さんと元新聞記者で竹下の秘書を務めた内藤武宣氏の間に生まれた子どもたちです。長女は人気漫画家の影木栄貴(えいきえいき)さん、そして次男がロックバンド「BREAKERZ」のボーカルでタレントのDAIGO(内藤大湖)さんにあたります。

DAIGOさんはバラエティ番組などで「祖父・竹下登」にまつわる豪快なエピソードや、温厚だった人柄をユーモアたっぷりに語り、竹下登という政治家の存在を若い世代にも親しみやすいものにしました。

さらに2016年、DAIGOさんが女優の北川景子さんと結婚したことで、北川さんも竹下家の親族の一員となりました。系図を専門的にたどると、竹下家は政界の重鎮だけでなく、旧華族や実業家、著名な文化人とも幾重に婚姻関係を結んでおり、日本屈指のセレブリティ・ファミリーを形成しています。

【島根から総理へ】竹下登の歩んだ経歴と権力掌握のプロセス

竹下 登

1924年(大正13年)に生まれた竹下登は、早稲田大学商学部を卒業後、地元・島根で英語教員や青年団活動を経て政界へ足を踏み入れました。1951年に島根県議会議員にトップ当選し、1958年には34歳の若さで衆議院議員に初当選を果たします。

国政進出後の竹下を象徴するのが、徹底した「気配りと調整能力」でした。佐藤栄作派閥に所属したのち、田中角栄率いる木曜クラブ(田中派)の官房長官や大蔵大臣などの要職を歴任。「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」を信条とし、敵を作らない根回しの政治スタイルで党内に確固たる人脈を築き上げました。

抜群の数字感覚と財政知識を買われ、蔵相時代には1985年の「プラザ合意」に日本代表として署名。急激な円高の引き金を引くなど、国際金融の舞台でも主導的な役割を果たしました。こうして着実に実績と人脈を積み上げた竹下は、1987年11月、中曽根康弘の後継指名を受けて第74代内閣総理大臣に就任します。

【経世会の支配】金丸信・小沢一郎らと築いた「竹下派」鉄の結束

竹下 登

竹下登が政界の頂点を極める過程で決定打となったのが、1987年の派閥結成です。長年「主君」として仰いだ田中角栄の支配から脱却すべく、若手・中堅議員を結集して「経世会(竹下派)」を旗揚げしました。

この経世会を支えたのが、盟友である金丸信と、竹下が手腕を高く評価し重用した小沢一郎です。彼ら3人は頭文字をとって「金竹小(こんちくしょう)」と呼ばれ、自民党内の意思決定を一手に握るトロイカ体制を敷きました。

経世会は徹底した集団指導体制と豊富な資金力、そして建設・農林・郵政など官僚機構に強い影響力を持つ「族議員」を多数抱え、党内最大派閥として君臨。竹下の退陣後も、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一といった歴代内閣の誕生を差配し、「影の総理」として平成初期の政局を完全支配しました。

【平成の夜明けと激震】消費税導入の理由と「ふるさと創生一億円事業」の実態

竹下内閣が断行した政策の中で、現代の私たちの暮らしに最も大きな影響を与えているのが、1989年(平成元年)4月1日にスタートした消費税(税率3%)の導入です。

当時、世論や野党から猛烈な反発を浴びながらも導入を決断した理由は、主に以下の2点にありました。

  • 少子高齢化への備え:将来的な社会保障費の爆発的増大を見越し、景気の波に左右されにくい安定した恒久財源を確保する必要があった。
  • 直間比率の是正:当時の税制は所得税や法人税などの「直接税」に極端に偏っており、働く現役世代の負担を軽減し、広く公平に負担を分かち合う「間接税」の導入が不可欠だった。

歴代内閣が幾度も頓挫した大型間接税の導入を、竹下は持ち前の根回しで実現させました。また、地域活性化を目的に全国約3,300の市区町村へ使い道を限定せずに一律1億円を配った「ふるさと創生一億円事業」も大きな話題を呼びました。金塊の展示や温泉掘削などユニークな使われ方が注目され、地方創生政策の先駆けとなっています。

1989年1月7日に昭和天皇が崩御した際、官房長官の小渕恵三が掲げた「平成」の元号を発表したのも竹下内閣の時代でした。

【失脚から最期まで】リクルート事件の真相と闘病の末の死因

消費税導入という大事業を成し遂げた直後、竹下政権を直撃したのがリクルート事件です。情報サービス企業リクルートの関連会社未公開株が、政官財の有力者に賄賂同然に譲渡されていたこのスキャンダルは、竹下の周辺にも波及しました。

竹下自身の金庫番であり、長年影のように支え続けた青木伊平秘書が自ら命を絶つという痛ましい事態に発展。世論の激しい批判を浴びた竹下は、1989年4月に退陣を表明し、在任わずか1年7カ月で内閣総辞職に追い込まれました。

首相退任後もキングメーカーとして権勢を振るい続けた竹下でしたが、晩年は病との過酷な闘いとなりました。1999年春に変形性脊椎症の治療名目で入院。実際にはすい臓がんを患っており、病床からも政局の糸を操り続けましたが、病勢には勝てませんでした。

2000年(平成12年)6月19日、竹下登は東京都内の病院で呼吸不全のため76歳で逝去。まさに昭和から平成という時代の転換点を駆け抜けた政治人生の幕引きでした。

【竹下登】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:竹下登元首相とDAIGO、北川景子はどのような親戚関係ですか?
A1:DAIGOさんは竹下登の実の孫(次女の次男)です。女優の北川景子さんはDAIGOさんの妻であるため、竹下登から見ると「孫の妻(義理の孫)」にあたります。

Q2:竹下登が消費税を導入した最大の理由は何だったのですか?
A2:急速に進む少子高齢化に伴う社会保障費の増大に備えることと、働く世代に重くのしかかっていた所得税偏重(直間比率の不均衡)を是正し、広く公平に支え合う税体系を構築するためでした。

Q3:竹下派(経世会)の政治スタイルにはどのような特徴がありましたか?
A3:トップダウン型ではなく、徹底的な対話と根回し、利益誘導を通じて党内や官僚機構をまとめる「調整型リーダーシップ」が特徴でした。この結束力により、長期間にわたり自民党政権の中枢を支配しました。

まとめ:昭和・平成の政界を動かした調整型リーダーシップの遺産

竹下登という政治家は、強引なカリスマ性で引っ張るタイプではなく、他者の意見に耳を傾け、水面下で合意を形成していく「希代の調整役」でした。その手法が生み出した消費税や地方創生策は、現在も日本の社会保障と地域政策の土台として機能し続けています。

一方、金権政治の温床となった派閥支配やリクルート事件のような暗部も併せ持ち、その評価には多面的な議論が存在します。孫のDAIGOさんが明るく伝える家族の素顔と、冷徹な権力闘争を生き抜いた政治家としての顔。その両面を知ることで、激動の現代政治史をより深く理解することができるはずです。 (出典: 竹下 登(Yahoo!ニュース)