長崎・平和祈念像のポーズに迫る!右手左手の意味とモデルの真相

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長崎・平和祈念像のポーズに迫る!右手左手の意味とモデルの真相
長崎・平和祈念像のポーズに迫る!右手左手の意味とモデルの真相
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🎵 長崎・平和祈念像のポーズに迫る!右手左手の意味とモデルの真相

長崎市街を一望する小高い丘、青空を背景に静かに鎮座する青銅色の巨大な巨躯――。長崎市松山町の長崎平和公園にそびえ立つ「平和祈念像」は、1945年8月9日の原爆投下から立ち上がった長崎のシンボルとして、国内外から訪れる多くの人々の心を揺さぶり続けています。

しかし、像が天を指し、水平に手を伸ばす独特の姿勢や、筋骨隆々とした力強い体躯の背景にある「真の意図」を深く知る人は決して多くありません。稀代の巨匠・北村西望がこの彫刻に託したメッセージと、長年語り継がれてきたモデルにまつわる真相を紐解きます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:天を指す右手は「原爆の脅威」、水平に伸ばした左手は「平和」、閉じた目は「犠牲者への祈り」を象徴している。
  • 要点2:特定の人物ではなく、人種や国境を超えた「神仏の慈愛と逞しさ」を具現化するため複数の屈強な青年の肉体美を融合して制作された。
  • 要点3:像の高さは約9.7メートル(台座含め約13.6メートル)。祈りの泉や原爆落下中心地とともに、8月9日の平和祈念式典の中心舞台となる。

【象徴の謎】平和祈念像のポーズが持つ意味|天を指す右手と平らな左手の理由

平和 祈念 像

長崎の平和祈念像を一目見たとき、誰もが強く印象付けられるのがそのダイナミックなポーズです。天高く垂直に掲げられた右手、そして手のひらを伏せて水平に広げられた左手。この左右非対称の構図には、極めて明確な祈念の意味が込められています。

高く突き上げられた右手は「原爆の脅威(空から降り注いだ惨禍)」を指し示し、未来への警鐘を鳴らしています。一方、水平に伸ばされた左手は「平和と安らぎ」を表し、被爆者や現世の人々を温かく包み込む救済の手を意味しています。

さらに注目すべきは、その表情と足の構えです。軽く目を閉じた穏やかな表情は、戦争で命を落とした無数の犠牲者の冥福を祈る「黙祷と合掌」を体現しています。また、右足を折り曲げて座りつつも、左足を今まさに立ち上がろうとするかのように踏ん張る独特の姿勢は、深い瞑想(静)と、世界平和のために即座に立ち上がる強靭な意志(動)の融合を表現したものです。

【モデルの真相】力道山説は本当か?彫刻家・北村西望が求めた究極の肉体美

平和 祈念 像

平和祈念像の圧倒的な存在感を支えているのが、ギリシャ彫刻を思わせる筋肉隆々とした男性的な肉体です。「あのたくましい身体のモデルは一体誰なのか?」という疑問に対し、昭和の時代から「プロレスラーの力道山がモデルではないか」「特定の柔道家がポーズをとったのではないか」といった様々な噂や都市伝説が語られてきました。

真相を明かすと、北村西望は「特定の一個人をそのままモデルにしたわけではない」と明言しています。像のコンセプトは、特定の民族や宗教、国家の枠組を超越した「神の愛と仏の慈悲」の具現化でした。そのため、西洋風の骨格と東洋風の穏やかな顔立ちをあえて融合させたのです。

ただし、制作過程においてリアリティのある筋肉の陰影や骨格をスケッチするため、当時の屈強な若者たちに協力を仰いだことは事実です。記録によると、西望のアトリエではボディビルダーや元大相撲力士、東京美術学校(現・東京藝術大学)の運動選手など、複数の男性がデッサンモデルを務めました。西望はそれら複数の肉体の美点を集約・再構成し、神聖な力を宿す「究極の平和の象徴」を創り上げました。

【圧倒的なスケール】像の高さ・大きさと北村西望の彫刻人生・代表作

平和 祈念 像

現地を訪れた人々を圧倒するのが、像そのものの巨大なスケール感です。像自体の高さは約9.7メートルに達し、石積みの台座(約3.9メートル)を含めると全体で約13.6メートルという壮大な高さを誇ります。使用された青銅(ブロンズ)の総重量は約30トンにも及びます。

作者である北村西望(1884–1987)は、長崎県南有馬町(現・南島原市)に生まれ、日本の近代彫刻史に巨大な足跡を残した文化勲章受章作家です。西望は102歳という天寿を全うする直前まで制作意欲を失わず、力強い造形美を追求し続けました。

彼の代表作には、平和祈念像のほかにも、国会議事堂内にある『板垣退助翁銅像』や、各地の名将をかたどった『加藤清正公像』『山県有朋像』などがあります。その中でも、故郷・長崎の悲劇を受け止め、世界の恒久平和を願って5年の歳月を費やして完成させた平和祈念像は、西望の芸術人生における最高傑作と称されています。

【平和公園の見どころ】「祈りの泉」から原爆落下中心地の慰霊碑まで

平和祈念像が立つ長崎平和公園(平和祈念地区)には、平和の尊さを五感で学ぶ数多くの見どころが点在しています。見学に訪れる際、像とあわせて必ず立ち寄りたいのが「平和の泉(祈りの泉)」です。

原爆投下時、猛烈な熱線と放射線に焼かれた被爆者たちは「水を、水を」とうめきながら息絶えていきました。平和の泉は、そうした犠牲者たちの魂へ清らかな水を捧げ、冥福を祈るために造られた直径35メートルの円形噴水です。正面に設置された石碑には、当時9歳だった被爆少女の手記が刻まれており、訪れる人々の胸を強く打ちます。

さらに公園から南へ進んだエリアには、漆黒の御影石で作られた「原爆落下中心地碑」が静かに佇んでいます。1945年8月9日午前11時2分、上空約500メートルで原子爆弾が炸裂したまさにその直下の地であり、周囲には被爆当時の地層や、世界各国から平和への願いを込めて寄贈されたモニュメントが並んでいます。

【8月9日平和祈念式典と歴史】被爆から現在へ受け継がれる平和の誓い

平和祈念像が除幕されたのは、被爆から10年の節目にあたる1955年(昭和30年)8月のことでした。国内外からの募金と長崎市の支援によって建立され、瓦礫の中から力強く復興を遂げる長崎市民の不屈のエネルギーと祈りを象徴する存在となりました。

毎年8月9日の原爆の日には、平和祈念像の正面広場において「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(平和祈念式典)」が厳かに挙行されます。原爆投下時刻である午前11時2分には、長崎市中に鳴り響く「長崎の鐘」やサイレンとともに1分間の黙祷が捧げられます。

式典では、長崎市長による「平和宣言」が世界へ向けて発信されるとともに、被爆者代表による「平和への誓い」が読み上げられます。被爆体験者が高齢化する現在においても、戦争の記憶を風化させず、核兵器廃絶のメッセージを次世代へ継承する場として、その重要性は年々重みを増しています。

【2026年最新アクセス】長崎駅から平和祈念像への行き方と効率的な巡り方

長崎市内は公共交通網が充実しており、平和祈念像へのアクセスは非常にスムーズです。旅行や修学旅行などで訪れる際は、以下のルートを把握しておくと迷わず移動できます。

■ 路面電車(長崎電気軌道)を利用する場合
JR「長崎駅」前の電停から「1号系統(赤迫行き)」に乗車し、約15分の「平和公園」電停で下車。そこからエスカレーターまたは階段を上がれば、徒歩約3分で平和祈念像が立つ広場へ到着します。

■ 路線バスを利用する場合
長崎駅前バス停から長崎バス(滑石・時津方面行きなど)に乗車し、「平和公園」バス停で下車して徒歩約3分です。

周辺には「長崎原爆資料館」や「浦上天主堂」も徒歩圏内に集まっており、半日程度で原爆と平和の歴史を巡るコースを無理なく組み立てることが可能です。

【平和祈念像】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:平和祈念像の見学に料金はかかりますか?所要時間はどれくらいですか?
A1:平和公園内は24時間開放されており、平和祈念像の見学は無料です。像の見学や周辺の散策だけであれば所要時間は約30分〜45分程度ですが、隣接する長崎原爆資料館とあわせてじっくり見学する場合は、約2時間〜3時間程度を見込んでおくと安心です。

Q2:なぜ青銅色(少し青みがかった緑色)をしているのですか?
A2:平和祈念像は青銅(ブロンズ)で作られており、屋外の空気や雨水に触れることで表面に自然な「緑青(ろくしょう)」と呼ばれる保護被膜が形成されています。この独特の青緑色はブロンズ彫刻特有の美しい経年変化であり、空の青と調和して像の神聖さを引き立てています。

Q3:平和祈念像と同じ像が他の場所にもあるというのは本当ですか?
A3:北村西望が制作時に作った縮小模型(原型)や石膏像、ブロンズ試作像が、東京都武蔵野市の井の頭自然文化園内にある「北村西望彫刻館」や、西望の出身地である長崎県南島原市の「西望記念館」などに保存・展示されています。長崎平和公園の像が唯一の完成原寸大オリジナルです。

まとめ:次世代へ語り継ぐ平和のシンボル

長崎の空を指す右手と、大地を鎮める左手――。平和祈念像が放つ静謐で力強いメッセージは、建立から70年以上が経過した現在も色褪せることなく、訪れるすべての人に命の尊さと平和の重みを語りかけています。

歴史の背景や彫刻家・北村西望が込めた祈りを知った上でその姿と向き合うと、見慣れたシルエットの奥にある切実な願いがより深く心に響きます。長崎を訪れる際は、ぜひ平和公園に足を運び、天と地を結ぶその雄大な祈りの姿を直に体感してください。 (出典: 平和 祈念 像(Yahoo!ニュース)