今いくよ・くるよの師匠は誰?島田洋之介・今喜多代との絆と紳助の秘話
昭和から平成の演芸界を駆け抜け、女性漫才師の歴史を大きく塗り替えた看板コンビ「今いくよ・くるよ」。派手な衣装とつけまつげ、そして「どやさ!」のフレーズでお茶の間に圧倒的な笑顔を届けた2人の原点には、上方漫才界にその名を轟かせた偉大な師匠の存在がありました。
高校の同級生だった2人がなぜお笑いの世界に飛び込み、誰の下で芸を磨いたのか。芸能史を振り返る上でも極めて重要な島田洋之介・今喜多代師匠との師弟関係や、同じ門下で切磋琢磨した島田紳助ら豪華な兄弟弟子との意外なエピソードを紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:今いくよ・くるよの師匠は、昭和の上方夫婦漫才を代表するレジェンド「島田洋之介・今喜多代」。
- 要点2:芸名の「今」は師匠の今喜多代から受け継ぎ、「いくよ・くるよ」は常に前進する動きとテンポの良さから命名された。
- 要点3:島田一門の兄弟弟子には島田洋七や島田紳助、島田一の介がおり、紳助とは生涯にわたる深い絆で結ばれていた。
【師匠の正体】今いくよ・くるよを育てた伝説の夫婦漫才師「島田洋之介・今喜多代」

今いくよ・くるよの師匠を務めたのは、昭和の上方演芸界で絶大な人気を誇った夫婦漫才コンビ「島田洋之介・今喜多代」です。恰幅のいい島田洋之介の飄々としたボケに対し、小柄な今喜多代がマシンガンのような鋭い突っ込みと歯切れの良い語り口で主導権を握るスタイルは、当時の漫才界に革命をもたらしました。
2人は主に妻である今喜多代の弟子として預けられ、その芸名にも喜多代の屋号である「今」の文字を授かりました。喜多代師匠は舞台上での厳しさと私生活での温かな人間性を併せ持つ人物であり、弟子たちからは「お母ちゃん」と慕われ、礼儀作法から舞台での立ち振る舞いまで徹底した指導を行いました。
島田洋之介・今喜多代の夫婦漫才で見せた「女性が舞台の中心で主導権を握り、客席を圧倒する話術」は、間違いなく今いくよ・くるよの芸風の根底へと受け継がれています。
OLと実業団からお笑い界へ|弟子入り理由と運命の直談判秘話

京都府立嵯峨野高校のソフトボール部でキャプテン(いくよ)とエース兼キャッチャー(くるよ)として青春を共にした2人は、卒業後に一度は別々の社会人生活を歩んでいました。いくよはOLとして広告代理店等に勤務し、くるよは名門・鐘紡(カネボウ)の実業団チームでソフトボールを続けていました。
転機が訪れたのは1970年のことです。芸能界への憧れを捨てきれなかったいくよが、親友であるくるよを熱心に誘い、お笑いの道を志すことを決意します。2人が弟子入り先に選んだのが、劇場で圧倒的な爆笑を巻き起こしていた島田洋之介・今喜多代でした。
弟子入りの理由は、喜多代師匠の圧倒的な話芸に心底惚れ込んでいたことに加え、「女性が本格的なしゃべくり漫才でトップに立てる環境」を直感していたためです。まったくの素人だった2人が楽屋に直談判へ赴いた際、喜多代師匠は持ち前の度胸と2人の強い絆を見抜き、弟子入りを快諾しました。
「いくよ・くるよ」芸名の由来と誕生秘話|師匠・喜多代が授けた言葉

コンビ名および芸名である「今いくよ・くるよ」は、師匠である今喜多代によって名付けられました。名字の「今」は師匠自身の芸名を継承したものであり、下の名前である「いくよ」「くるよ」には明確な舞台への願いが込められていました。
言葉の由来となったのは、人の往来や時代の流れを表す「行くよ、来るよ」という躍動感あるフレーズです。「立ち止まることなく、常に前を向いてテンポよく舞台を駆け抜けてほしい」という喜多代師匠の想いが反映されています。
細身でハイカラな化粧の「いくよ」と、ふくよかでド派手な衣装をまとう「くるよ」。強烈なビジュアルの対比と、一度聞いたら忘れられないリズム感を持つこの芸名は、2人がスターダムを駆け上がる上で最大の武器となりました。
豪華すぎる島田一門の師弟関係|島田紳助・島田洋七との知られざる絆
島田洋之介・今喜多代が率いた「島田一門」は、後のお笑い界を牽引する傑出した才能を多数輩出した名門です。門下には驚くべき顔ぶれが揃っていました。
【島田洋之介・今喜多代門下の主な弟子一覧】
- 島田洋七:洋之介門下の筆頭格。後にB&Bを結成し、漫才ブームの頂点に君臨。いくよ・くるよにとっては頼れる兄弟子。
- 今いくよ・くるよ:喜多代門下の看板。女性漫才師の地位を飛躍的に向上させた。
- 島田紳助:洋之介・喜多代門下に入門。後に「島田紳助・松本竜介」として一世を風靡した弟弟子。
- 島田一の介:吉本新喜劇の重鎮として長年舞台を支える実力派。
特筆すべきは、弟弟子にあたる島田紳助との関係性です。紳助は若手時代からいくよ・くるよの2人を「姉さん」と呼んで深く慕い、その面倒見の良さと舞台度胸に敬意を払い続けていました。過酷な下積み時代を同じ一門の釜の飯を食って過ごした仲間だからこそ、後年互いにトップスターとなった後も、テレビ番組や劇場の合間に深い信頼関係を交わし合っていました。
吉本興業の女流漫才師として拓いた道|師匠の教えが作った「どやさ」の真髄
1973年の正式デビュー当時、吉本興業において女性コンビが劇場のトリを務めることは極めて異例でした。当時の演芸界は男性優位の空気が色濃く残っていましたが、いくよ・くるよは師匠仕込みの正統派しゃべくり漫才に、互いの体型やルックスを明るく笑いに昇華する独自のスタイルを確立していきます。
1980年代の漫才ブームで全国区の人気を獲得した後も、2人は生涯「劇場の舞台」を最優先に守り続けました。くるよの代名詞となったギャグ「どやさ!」(「どうなの?」という意味の京都弁)や、いくよの軽妙なツッコミは、喜多代師匠から叩き込まれた「間(ま)」の美学と、観客に対する底抜けのサービス精神から生まれたものです。
師匠から受け継いだ愛情深き芸人魂は後進の女性芸人たちにも多大な影響を与え、吉本興業における女流漫才師の黄金期を築く強固な礎となりました。
【今いくよ・くるよの師匠】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよ・くるよの師匠は誰ですか?
A1:昭和期に上方漫才の頂点に立った夫婦漫才師「島田洋之介・今喜多代」です。2人は喜多代師匠の直弟子として入門し、芸名の名字である「今」を受け継ぎました。
Q2:島田紳助さんとはどのような間柄でしたか?
A2:島田洋之介・今喜多代門下の兄弟弟子(紳助さんが弟弟子)の関係です。若い頃から互いに切磋琢磨し、紳助さんは2人を実の姉のように尊敬し、生涯にわたって親交を深めました。
Q3:なぜ「今いくよ・くるよ」という芸名になったのですか?
A3:師匠の今喜多代が「行くよ・来るよ」という躍動感ある言葉から名付けました。立ち止まることなくテンポ良く前進してほしいという親心が込められています。
まとめ:師弟の深い情愛が紡いだ上方漫才の金字塔
今いくよ・くるよが残した数々の伝説的な名舞台。そのすべての根底には、師匠である島田洋之介・今喜多代から受け継いだ「舞台への誇り」と「人を愛する温かい笑い」がありました。
厳しい修行時代を支え合った島田紳助や島田洋七ら一門の絆、そして師匠から授かった看板を背負い続けた2人の生き様は、上方演芸の歴史に燦然と輝く財産です。彼女たちが拓いた道は、現在のお笑い界で活躍する後輩たちの中にも確かに息づいています。 (出典: いくよ くる よ 師匠(Yahoo!ニュース))